猫みたいだってよく言われる。
言われるのだけれども、それはあくまで俺の内面的な話だ。
任務を全うするには忠犬でなくてはならない。
俺はあの人の、狗だ。
ごりり。
靴の下に感じる硬質な感触を感じる。
靴先にべっとりと赤黒い液体が付着したのが不愉快で、レノは小さく舌打ちをする。
既に事切れた男の頭蓋を靴底で踏みつけながら、辺りを見回す。
ひい、ふう、み。
床に伏しているのはざっと10人ほど。
息の在る者はいない。
10人分もの血液を吸った床やら壁はてらてらと赤く光っていて、踏むとぬるりと滑った。
違法な麻薬ルートで荒稼ぎしていると前々から目を着けていた団体。
団体といってもそう大きなものでは無かったので今まで放って置いたのだが、どうやら最近になって、その団体が反神羅の動きをみせる団体と提携をとったらしいことが判明したのだ。
「あーあー」
ごりり。
片足を乗せていた男の頭をごつり、蹴飛ばす。
「大人しく薬売っときゃ良かったのにな、と」
光の宿らないどろりと濁った目が、ぎょろり、動いた気がした。
ぴしゃん、ぴしゃ、ぬらり。
血液がぶちまけられた床はレノが歩くたびに微かな水音を立て、聴覚を苛む。
先刻まで命の灯っていた肉塊を片付けるのはレノの仕事ではない。
あとは後発隊が適当に処理をしてくれるだろう。
「あーあー」
意味の無い母音だけ。
理由があって発した訳でも無く、ただなんとなく。
血潮を十分吸って重くなったスーツを仰ぎ、溜息。
このままでは帰還もできないだろう。
ズボンの尻ポケットに突っ込んでおいた携帯を取り出し、すべらかなボタンをプッシュする。
「あー、もしもし、ツォンさん」
『レノか』
スピーカーから聞こえる硬質な上司の声。
「終わりましたよ、と」
『そうか、御苦労だった』
「返り血酷いんでこのまま帰ってもいいですか、と」
『ああ、詳しい報告は明日でも構わない』
「ドーモ」
詳しい報告は明日でも構わない。
通話を切りながら、上司の言葉を反芻する。
それはそれほどこの任務が重要では無いことを表していて。
つまりは、レノの手によって屠られた奴らは、こんなにも軽々しい扱いであるわけで。
ああ、命ってこんな軽かったっけ、とか。
心臓の大きさはだいたい拳の大きさ。
どこかの誰かが言っていた魂の重さは21グラム。
あれ、35グラムだっけ?
そんなことはこの際どちらでも良いのだ。
別に物質的、質量的な重量の話ではない。
でももし本当に、そんなにも軽いのであっても。
(10×35、で350グラム)
積み重ねてきた殺戮の分だけその重さを背負うのなら。
きっと俺は数トンもの重さを負うことになるのでしょう。
ちりり。
脳髄が疼く。
名前も知られず愚かに地に伏す奴らも、そいつらを屠る俺も、お高いところで見下ろす偉い奴も、魂の重さは一緒なのだろうか。
そう思い、ふと脳裏に浮かぶのは輝かしい金糸の髪に蒼い目のあの人。
ずるずるに磨り減った俺の魂なんかよりも、あの人のおキレイな魂は重いのだろう。
いや、魂はキレイじゃないな、あの人も。
ずるずる、ずるずる。
疲労で重い体を引き摺って家路を辿る。
ちらちらと脳裏に浮かぶのは、色褪せて茶色くなった写真。
小さな女の子と美人な女の人と、精悍な面持ちの男。
幸せな家族なのだろう。
否。
幸せな家族だったのだろう。
古びた写真。
べっとりと赤に塗れた、幸せ。
それは頭蓋を蹴飛ばした男の胸ポケットから滑り落ちた鎖。
獲物の家族がどうとか、そんなの知ったこっちゃない。
任務の実行にはなんら差し障りは無い。
俺は狗だから。
ただ言いつけを守って褒美を待つ狗。
ただ、でも、だって。
(ああ、見なけりゃ良かったぞ、と)
あんなもの、見なければ良かったのだ。
任務明けで不快な思いをするでもなく、家に帰って酒でも引っかけて眠れたのに。
くるり。
爪先の向きをぐるりと方向転換。
こんなどろどろの姿ではあの人は嫌がるだろうか。
それとも甘受してくれるだろうか。
しばし考えた後でどちらでもいいや、と思い直し、レノは家路とは別の道を行く。
目を閉じて瞼に描くは、キレイな金糸に整ったお顔のあの人。
ねえ、言いつけを守った狗にご褒美、くれませんか